これから

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どうしていこうか、考えても考えても

先に進まない、そんな日はある。

 

苦しいけれど、じっと待つしかないのかな。

この夏は

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この夏は、何度も何度も新幹線に乗り、

関西と島を行ったり来たりしました。

 

たまにしか乗らない時は、ホームで新幹線を待つ度、

ワクワクしたものですが、

この夏は、路面電車のように新幹線を使い倒しました。

 

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片道約1万円かけて、5回も6回も乗り物を乗り継ぎ向かう島。

ラストはフェリー。

 

ここまで来たらゴールが近い。

 

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逆に帰り道は、船に乗ったら島とはさようなら。

 

 

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港を出るときは、また来れると分かっていても、

いつも切なく寂しくて。

 

お酒のこと

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実は、3月から受験勉強のために禁酒をしていて、お酒が飲めなくなりました。

 

 

試験が終わった日、久しぶりに口にした日本酒が飲めなくなっていたのです。

アルコール度数の弱いチューハイもダメでした。

少し身体に入れただけで、フラフラになってしまいます。

 

あんなに、毎日欠かさず飲んでいた日本酒が飲めなくなった、一抹の寂しさがあります。

 

お酒のない生活。

メリット、デメリットを考えると奈良で生活するぶんにはデメリットの方が大きいように思います。

 

飲めなくなり、酒場の雰囲気にも入り込めなくなったのです。

あのお酒の力で、高揚した酒場の雰囲気に近づくのがしんどくなったのです。

だからって、一人で家で飲もうとも思わなくなりました。

 

これまでは、自分の居場所のように、一人行きつけの酒屋に足を運び、それなりに楽しい時を過ごしてきたことを思えば、その時間を失ってしまったことは寂しいです。

酒を飲まなくなると、酒飲み友だちもそれと共に去っていき、交友関係も狭まってしまう気がします。

特に、今いる街では、お酒繋がりの関係が多かったので。

 

リハビリすれば、もう一度お酒の美味しさが分かるようになる時が来るのかもしれません。

 

ただ、無理してそうしたいと思わないのが正直な気持ちです。

酔うことで、魔薬のような液体を体内に取り入れて、刹那的に今の不安な気持ちを紛らわすことが出来るのは、分かっているのですが・・・。

因果関係はないけれども、お酒を止めたことが一つのターニングポイントのようにも感じられるのです・・・。

 

棘を抜くように

ここ数日間、これからの事を考えると思い悩む事が多く、鬱状態が続いていました。

 

どうすれば楽になれるか考えても、動く気力すらない時もあり・・・。

 

楽になるのが無理ならば、この症状を緩和できる術はないか、そう考えた時、かろうじて思いついたのが、指に刺さった棘を抜くように言葉を紡ぎ、心情を吐露する事でした。

だから、今こうして、放置状態だったブログに、堰を切ったように新しい投稿が流れ込んでいるのです。

 

仕事が見つかれば、春から移住しようと思います。

今、移住先での仕事を探しています。離島ですから、仕事にも限りがあって、移住したい人が一番苦労するのがこの問題です。

ずっと住み続けるわけではなく、元の場所に戻る選択肢も残しながら、期間を決めて別の環境に身を置こうと思っています。

環境を変えて生きる中で、生き方を模索していこうと考えています。

 

今いる場所に不満があるわけではありません。

むしろ、移住を考え始めた当初は、今いる場所への未練があって、幾度となく決断を踏みとどまらせもしました。

 

未練は完全に無くなった訳ではありません。

でも、こうするより他、仕方ないです、心と身体が欲している以上、無理にそれを抑圧すると、また地元にいたあの一時期のように、苦しくて吐き続けてしまうでしょうから。

 

人生が旅で、私たちが旅人ならば、新しい船出の時が近づいているのかもしれません。

 

 

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今年の夏の追憶ー

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2017年ー大崎上島の海。

 

私はこの夏の大半を大崎上島で過ごしていました。

島滞在の最終日ー、明日から奈良での生活が再開する、そんな8月最後の日の朝は、天高く涼やかな風が吹き、新しい季節を感じました。

あんなに大好きな奈良なのに、帰りたくない気持ちの方が強かったです。

 

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2017年の夏は、毎日数え切れないくらい笑って過ごして、
自分より一回り下の年代の、弟や妹のように可愛らしい島の子たちと触れ合い、暑い中発狂しながら受験勉強して、庭の植物を毎日食べて、ちょこっと農作業手伝って、そんな時間が幸せでした。

 

一年先、否、半年先の自分が一体何をしているのか、どこにいるのか、今は全く見えない現実を目の前にして、心救われたのは毎日目にした植物たちでした。

 

か弱い苗木たちが、来年どんな風に逞しく育っているかこの目で見てみたいから、私も頑張って生きていこうと思えた瞬間が幾度もありました。

クズに巻きつかれながら、必死に生きようとしていた苗木たちは、来年どうしているだろう。

 

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期間を決めて、奈良を離れてみようと本気で思ったのは、その頃からです。

 

 

近況報告も兼ねて

先日、受験を終えました。

出来は、イマイチでしたので、正直不完全燃焼です。

でも、もう一度受けるか、というと受けたい気もするし、もういいかなという気もする、複雑な心境です。

ただ、約一年間、法律の勉強をして思う事は、このままやめたくないなあ、ということ。純粋な知的探求心は残ってて、正直、このままやめちゃうのはもったいないなぁとは感じてます。

だから、今、どうしたらいいのか、自分自身さっぱりわからないです。

 

目の前のことに一生懸命だった時は、これからの事を考える余裕がありませんでした、というか、目の前の事をこなすのが最優先という名目のもとに、考えないようにしていました。

時間ができた今、その問題について毎日考えさせられる日々が続いています。

 

私の心の中に巣食う「閉塞感」という文字。

その閉塞感とは、大げさに言えば、生きる事への閉塞感でもあります。

「閉塞感」をどうにかするには、思い切って環境変えるのが一番だと思ってます。

私自身が世界を見るまなざしも、今のままでは固定化されてしまいそうで怖いです。

 

仕事もー、今の仕事への熱意も冷めてしまった今、それをもう一度温め直す事は出来ないようです。

温め直す事が出来ないー、別の表現を使うならば、一度凍らせてしまって、細胞が壊れてしまったから、解凍しても元のフレッシュさが再現できない野菜と同じです。

資格試験のハードな勉強が終わって、仕事に割ける時間は増えたものの、食指が動いてくれないのです。


閉塞感は、今に始まった事では無くて、数年前から抱えていていました。

その度、あの手この手で、適度に自分にとって刺激ありそうな分野を見つけて、心と身体を紛らわし続けてきました。


大学通ってみたり、資格の勉強してたのも、純粋な知的好奇心だけでやってたわけではありません。

閉塞感をどうにかしたかったのです。

 

次のビジョン、考えててもなかなか見つかりません。
少し頭休めて綺麗な景色でも眺めるた方がいいのか、とも思いますが、年齢的にものんびりできる時間はないのではないか、という焦燥感があります。


想像してないような方向性のものでも何でもいいので、糸口だけでも見つかればいいのですが。

ご無沙汰してます

そろそろ余裕が出てきたので再開してみようと思っています。