10年後、自分はどうなりたいか

もうすぐ、また一つ歳を取ってしまう。

1月23日で、38歳になる。

 

30代後半ー、正直、誕生日が嬉しくない年齢だ。

不惑ー、40代を迎えるが怖い。

 

子どもの頃、私くらいの年齢になったら、何でも知ってる、何でも出来る大人になっているはず、そう思ってた。

でも、自分が大人になってみると、昔抱いた大人像とは程遠い自分がいる。

大人になっても無知なままの自分が怖い。

でも、そもそも大人の定義って何だろう?

 

私たちはいつ大人になるの?

 

 

20代後半、同じような気持ちになった。

30代を迎えるのが怖いー、このままじゃ駄目だ。

毎日、そんな事考えて生きていたっけ・・・・・。

 

転職を本気で考えたのも、26歳くらいだったかな。

その頃、今の仕事をしたくて、通信教育で免許を取った。

 

当時は、学校で働けるだけで、嬉しくて夢のようで、どんな仕事でも喜んでした。

ただ、学校で働けるのが、授業ができるのが嬉しかった。

就職をきっかけに地元、福知山で3年間働いた。

最初の年に出会った生徒たちとの思い出は、今でも1番印象的で、今でもしょっちゅう思い出す。

 

限界効用逓減の法則ってこういう時にも使うのかな?

 

大好きだった彼らの幸せを今でも切に願う・・・。

 

それから、突然のリストラがあって、福知山に絶望して、奈良に来た。

福知山で過ごした最後の一年間は、しんどかった。

突然のリストラに遭い、何とか見つけた代わりの学校が最低だった。

全体主義の学校で、その学校で働く教師が皆馬鹿に見えた。

こんな環境にいたら、自分も精神が爛れてしまうと、毎日危惧した。

 

しんどくなって、しょっちゅう吐いた。

仕事が嫌で、職場の馬鹿どもが嫌で、しょっちゅう吐いた・・・。

何でこんな頭の悪い人たちしかいないんだろう?いつもそんな風に感じてた。

田舎者の集団・・・。

 

ただ、毎日行く、喫茶店に癒された日々だった。

その喫茶店には雄猫がいて、私は彼に会いたくて、お店の人に会いたくて毎日、お店に通った。この空間は、私にとっての避難所だった。

ここが無かったら、私は完全に壊れていたと思う。

 

 

秋まで就活して、今の職場を得た。

新天地は奈良。就活最中、立ち寄った奈良の地の街の空気に触れた時、ここで新しい生活を始めたい、第6感でそう感じた・・・。

奈良に住みたくて、採用試験に合格することが出来た。

 

奈良に住んでから、地元福知山に対しての、屈折した感情は残り続けている。

私に中での翳になって、こびりついている。

地元は港であり、愛おしい故郷、同時に憎むべき、唾棄すべき教育の街だ。

 

現在ー。

奈良の街は変わらず居心地がいいし、私を守ってくれる。

じゃあ、仕事は?

 

昔よりスキルアップした。

福知山にいる時とは比べ物にならないくらい、仕事が出来るようになった。

色々な学校から声が掛かるようになった。

 

でも・・・。

これから10年後、今の仕事を続けたいか?

 

嫌だ。

 

10年後、自分はどうなっていたいか?

今の環境に安住して、成長を止めた自分を見るのは耐えられない。

教育業界にいつづけるじぶん、耐えられない。

 

もっと、自分の可能性を開拓しなさい、心がそう叫ぶ。

一回きりの人生なんだから・・・。