「diary」 か「journal」か
今月頭に始めた英会話教室では、文法を中心にしたLessonと、会話重視のLessonの二つがあって、今日は後者の方を受けてきました。
今日の先生は、インドネシア出身ののお姉さん。色々な国の先生がいて、同じ英語でも発音が微妙に違うのがわかります。
彼女は3ヶ国語が話せるマルチリンガル。
bilingualが二ヶ国語で、3orそれ以上喋れる人はmultilingual。
ちなみに、このブログのタイトルは「路地裏diary」ですが、diaryはちょい子供っぽいから、「路地裏journal」の方がニュアンス的には宜しいと言われました。
「journal」だと何か、スクープ記事が書かれていそうでかっこいいですね。
もしくは、「New Yourk times」みたいに、「路地裏times」でもいいかもしれない。(笑)路地裏で起こっている事なんで、地味な内容になりそうですが・・・。
それにしても、高校の時、受験勉強であれだけやった文法をここまで綺麗さっぱり忘れてるなんて。
使ってる体のパーツは口だけなのに、日本語がいっさい使用不可の空間で、50分間喋るって、ものすごい体力の消耗になります。
しかも、先生とマンツーマンで不如意なのは自分だけ。
英会話は、中学生の頃も通っていたけど、大人になった今やる方が遥かにしんどい。
それは加齢による体力の衰えが問題なんじゃなく、大人になって、子供の頃より複雑な思考を身につけて、母語であればそれが表現できるのに、外国語だと途端に手足が縛られる、このもどかしさに耐えられないんだと思う。
この不如意な感覚ー、
頭の中は大人、でも自己表現力は中学一年生の頃に戻っている自分。
このギャップが広がれば広がるほど、辛く苦しいんだろう。
いわば、「逆コナンくん」状態に呻吟する自分。
言葉が自由に操れないこと、身体が自由に操れないことと同じ。
自由に操れている、操れていた自分を知っているものほど、その痛みは大きい・・・。
自分の脳が退化していく時も、同じことを考えるのだろうか・・・。
〜memorandum〜
colonized=conquered
past tense,present tense,future tense
clue
肉球新党のホームページはイケてるにゃ。
肉球Goodsが欲しい。
憲法は理想を語ってはならないのか?何もかも、現実的でないとダメなのか。
「理想」そのものが捨てさられしまうことの恐ろしさー。
捨てなきゃならない理想もある。けれど、捨ててはいけない理想もあるはずなんじゃないか・・・。
うまく言えないけれど、きっと、青臭いと言われるけれど、紛争が絶えない世の中だからこそ、平和の理想を語る国が世界で一つくらい存在してもいいんじゃないか・・・
今は、きちんとした言葉で説明できないけれど。